3.11東日本大震災 7年

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大学生時代、東日本大震災でボランティアをしたことがきっかけで、災害支援という道に進みました。

大学4年生になる前の3月11日、大学の寮でつけていたテレビに、現実世界の出来事ではないような津波の映像が流れた。その日の夜は酒屋のバイトで大分市の街中に行く道中、車が渋滞していたのは今でも覚えていて、大分にも津波警報が出ていたので、沿岸部の道路を避け渋滞が出来ていたのだと。。。

別の理由で大学4年生を休学する予定で、時間も空いていたので災害ボランティアに行くことに。前職のNPOを通じてボランティアバスで宮城県七ヶ浜町を訪れたのはその年の5月末のこと。その時は仮設住宅も徐々にでき始め、避難所から引っ越しが始まっていた。

基礎しか残っていない家、玄関に車が突っ込んでいる家、建物の上に船が乗っかっていて、砂浜には海上コンテナが突き刺さっている。非日常的すぎてここは日本なのかと唖然。

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宿泊場所はプレハブの建物でボランティアは雑魚寝(男女はもちろん別)。

現地では瓦礫撤去や仮設住宅の集会場でお茶出し、足湯ボランティアを3日間行なって、一度大分に戻る。それも大学にいつからいつまでボランティアをしに行くという申請書を出さないといけなくて、期間内までに帰らなければいけなかったから。いちいち、めんどくさいと思って(笑)、次は年末までで申請し、長期ボランティアへ再度宮城県七ヶ浜町へ。

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長期ボランティアでは、砂浜のクリーンプロジェクト、仮設住宅での交流イベント企画、みなし仮設住宅向けの交流企画などをさせてもらった。特にみなし仮設住宅は支援が届かず、孤立していて、交流会の参加者から「こんな支援を待ってた」と涙を流しながら食事をしていたおばあちゃんのことは今でも覚えている。。。

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そんな中、被災した地元の漁師さんと出会い、その漁師が「船を購入したらボランティアに恩返しをしたい」と言っていて、魚はとってこれるけど、その魚を食べやすいように鍋にすると野菜やご飯が必要になるから協力してもらえると助かると。僕としては、魚が獲れたらそれを売って家計に入れて、そうすることで復旧に繋がって行くと思っていたけど、漁師の恩返しがしたいとの熱い想いに動かされ、協力金を集めることに。

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大学に戻り学園祭で、友達や大分のNPOに協力いただきながら、お金や想いを集めさせてもらって、日本の端と端だけど「何かしたい」という人はいっぱいいて嬉しかったなー。

そして、七ヶ浜に戻って、漁師さんとボランティア向けに炊き出しをすることができた。

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そんな漁師さんとは今でも付き合いが続いて、なんか兄弟みたいに。3.11に漁師さんにメールすると「7年経とうが、10年経とうが復興の道は変わりません。精一杯頑張ります」と返信があって。大分に戻ってあんまり七ヶ浜に顔出せなくなったけど、引き続き応援していきたいと思っています。

 

7年ということもあり、自分自身ちょっと振り返り。

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